本日、武器商人ことコーク・スクリュー氏より悲しいお知らせがありました。
---以下、引用---
Alejandro Maruto Robaina Pereda González Valdézは一族に見守られながらキューバの自宅で逝去されました。現地時間 2010年4月17日午後3時
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享年91(歳)
いろいろな意味で印象深い方でした。心よりご冥福をお祈りします。

用事を済ませるために午前9時頃に最寄り駅へ。するとプラットフォームに3名の中年男性が高価そうなカメラを構えていた。この駅は貨物列車専用の路線が併走しているので、きっとその写真を撮るのだろうな、ヘンな遊びにお金をつぎ込むよりも微笑ましいな程度の感想を持ちながら待っていた電車に乗った。
そして......
用事を済ませて午後6時頃に最寄り駅に到着。すると朝見かけた3名の中年男性がカメラを抱えたままベンチに座っているではないか!
えっ?!ということは、あれからずっと駅の中で過ごしたということか?!?!

今年ほど訃報に敏感になった年は今までなかったように思います。改めて振り返って見ると、亡くなったほとんどの方をテレビや映画、コンサートや本などを通じて見知っていることに驚きました。そして、自分自身の考え方や生き方を形成する上で少なからず影響を受けた方が沢山いらっしゃいました。
ここに改めてご冥福をお祈り致します。
「女優の岸田今日子さん(76)が脳腫瘍による呼吸不全で17日に亡くなっていたことが分かった。所属する演劇集団円が20日発表した。葬儀はすでに近親者のみで行われた。後日、お別れの会を開くという。」
懐かしいムーミンの声と「砂の女」の主演女優さん、というのが私の記憶です。
ご冥福をお祈りします。

キューバのカストロ国家評議会議長は、本日13日が79歳の誕生日です。相変わらずお元気で長時間の演説も未だにこなしているそうです。本当にキューバでは高齢の方がお元気です。
※写真は2000年キューバで撮影

先ほど『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』で一躍有名になったイブライム・フェレールが亡くなったことをニュースで知った。
私は1998年始めてキューバへ行ったときにキューバ音楽の素晴らしさを知り、帰国後このアルバムに出会った。『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』の多くのメンバーはキューバ革命後あまり恵まれた環境では生活できなかった。イブライム・フェレールも靴磨きなどをして生計をたてていたそうだ。そんな彼らがライ・クーダとヴィム・ヴェンダースによって音楽と映像で再びスポットを浴びることになった。
ロバイナさんもそうだが元気なキューバの老人が1人亡くなってしまったことは残念でならない。

今日は久しぶりのペタンク。天候が少し心配だったが決行した。しかし何時ものようにペタンクは二の次で持ち合ったワイン、アルマニャク、チーズ、サラミ等をつまみながらベラベラとたわいもない話を約2時間した後にようやく重い腰を上げることに。ペタンクを数ゲーム終えたときに雨がぱらぱら降り出した。始めはあまり気にしなかったが、雨の降りが強くなってきたので引き上げることに。さあ次のペタンクは夏になるのか秋になるか楽しみです。


ずっと前に紹介したことのある葉巻を再び入手する機会に恵まれました。
味も印象も何もかもすっかり忘れてしまっていたので、早速に火を点けようかと思ったのですが、思うところあって踏みとどまりました。テイスティング・レポートはいずれそのうちに。

チェ・ゲバラの肖像が彫られたキューバのコインです。イコンのコイン。
某BS氏に拝み倒して、貰いました。他人に小銭をせびったのは中学生以来です。
しかも酔った私は酒代を踏み倒しました(涙)。
左から、兌換ペソの5ペソ(peso convertible)、従来の3ペソ(moneda nacional)。下は裏面です。
キューバ政府は、2004年10月25日、翌月の11月8日より、米ドルの流通を禁止すると発表。急な話だなぁ。
これからは今までドルでの支払いを要求してきたショップでは兌換ペソを払うという事になるのかな。
1米ドル=1兌換ペソ。これは動かないレート。でも、直接米ドルを両替すると10%の手数料が取られるとの事。
なんか大騒ぎ。でも早くキューバに行きたいなぁ(溜息)/Cusano
ピエール・サリンジャー氏(元米大統領報道官、ジャーナリスト)16日の米ABCテレビなどによると、同日、心臓発作のためフランスの病院で死去、79歳。
サンフランシスコ・クロニクル紙の記者、上院調査官などを経て、ジョン・F・ケネディ上院議員の報道担当秘書。1961年、同議員の大統領就任と同時に大統領報道官となり、ケネディ大統領暗殺で昇格したジョンソン大統領の下でも報道官を務めた。
64年に死去したカリフォルニア州の上院議員の後任に任命され、残り任期を務めたが、次の選挙で落選。ジャーナリズムに復帰し、77年から長年、ABCテレビで活躍した。ジョン、ロバートのケネディ兄弟などに関する著作がある。
(ニューヨーク共同)

Pierre Emil George Salinger (June 14, 1925—October 16, 2004) was a White House Press Secretary to U.S. Presidents John F. Kennedy and Lyndon Johnson. He also was an ABC News journalist.
From Wikipedia, the free encyclopedia.
正直堂ドットコムのキューバ葉巻禁輸措置解除に反対?という記事に同氏のエピソードを紹介しています。
11月22日で事件から40周年を迎えたケネディ大統領の暗殺事件、ニュース・ステーションで故リンドン・ジョンソン大統領の指示によるものだったという特集が放映されました。これまでにもいろいろな陰謀説が流れていますが、いずれも決定的な証拠を示したものはありません。当時の調査委員会の資料が公開されれば真相に近付けるという話を聞いたことがあります。確かもう少しで該当公文書が一般公開される時期を迎えると思いますが、果たしてそれで本当に真相が明らかになるのでしょうか。
意外なことにフィデル・カストロとアーネスト・ヘミングウェイの二人が実際に会ったのはヘミングウェイの名前が冠された釣大会、1960年5月15日のHemingway Fishing Competitionが最初で最後、二人が一緒に写っている写真もその釣大会の時に撮られたものだけだそうです。ちなみに、フィデル・カストロはこの釣大会で個人優勝を果たしました。
さて、この二人には釣大会以外に思わぬ接点がありました。まず、フィデル・カストロは彼のゲリラ戦について「誰がために鐘は鳴る」に影響を受けたことを1984年2月6日のインタビューで示唆しています。彼は学生時代にゲリラ戦について、すでに彼なりのイメージを持っていたそうです。そして、この「誰がために鐘は鳴る」はそのイメージをより具体的なものとしただけでなく、実際の体験によってより親しみ深い本になったようです。
「誰がために鐘は鳴る」は、アーネスト・ヘミングウェイ自身の第二次世界大戦下のスペイン内乱の経験をもとにを書かれたということですが、彼は戦地に赴いて、取材活動だけでなく実際に銃を取ったという説があります。
そして、この説の真偽を別の角度から判断するひとつの材料があります。それは、驚くべきことに、1942年春頃から終戦にかけて、アーネスト・ヘミングウェイが彼の持ち船であるピラール号に乗り組み、カリブ海キューバ沿岸においてドイツ潜水艦探索作戦に従事したという記録が残っているということです。この南の海で潜水艦狩りというミスマッチでロマンチックなこのアイデアはヘミングウェイのものであり、その計画は「ドイツ潜水艦を発見して捕獲し、乗組員を捕虜にし、可能であれば暗号表を押収する。」というものだったそうです。しかし、多くの人たちからは馬鹿げた計画だときめつけられたようです。

ところが、実際には、この潜水艦狩りはアメリカ合衆国海軍軍令部によって「極秘」扱いされるほどに重要な任務として取り扱われました。そして、ヘミングウェイ自身もこの作戦を極秘扱いとし、限られた仲間たちと海で遊んでいるように見せかけていたようです。当時キューバ海軍で対潜哨戒艇に乗り組み、実際にUボートを沈没させた経験を持つデルガート大尉によれば、彼の乗った船は同海域でしばしばピラール号に出会ったようです。そして、彼は晩年のインタビューで「(ヘミングウェイは)キューバ沖の潜水艦を遊び半分に探しまわっていたプレイボーイさ」と語っています。この言葉が裏付けるように、ヘミングウェイたちのその偽装は上手くいったのかもしれません。しかし、残念なことに肝心の潜水艦探索作戦そのものは失敗だったようです。この作戦によって捕獲されたUボートは一隻もありませんでした......
共にキューバを愛して止まない稀代の革命家とノーベル賞作家、一人は主に銃を手に、もう一人は主にペンによって、それぞれが得意とする武器でファシストとの戦いに明け暮れたのだ、という印象を持ちました。