2003年08月26日

カストロとヘミングウェイの接点

0826_castro.jpg意外なことにフィデル・カストロとアーネスト・ヘミングウェイの二人が実際に会ったのはヘミングウェイの名前が冠された釣大会、1960年5月15日のHemingway Fishing Competitionが最初で最後、二人が一緒に写っている写真もその釣大会の時に撮られたものだけだそうです。ちなみに、フィデル・カストロはこの釣大会で個人優勝を果たしました。
さて、この二人には釣大会以外に思わぬ接点がありました。まず、フィデル・カストロは彼のゲリラ戦について「誰がために鐘は鳴る」に影響を受けたことを1984年2月6日のインタビューで示唆しています。彼は学生時代にゲリラ戦について、すでに彼なりのイメージを持っていたそうです。そして、この「誰がために鐘は鳴る」はそのイメージをより具体的なものとしただけでなく、実際の体験によってより親しみ深い本になったようです。
「誰がために鐘は鳴る」は、アーネスト・ヘミングウェイ自身の第二次世界大戦下のスペイン内乱の経験をもとにを書かれたということですが、彼は戦地に赴いて、取材活動だけでなく実際に銃を取ったという説があります。
そして、この説の真偽を別の角度から判断するひとつの材料があります。それは、驚くべきことに、1942年春頃から終戦にかけて、アーネスト・ヘミングウェイが彼の持ち船であるピラール号に乗り組み、カリブ海キューバ沿岸においてドイツ潜水艦探索作戦に従事したという記録が残っているということです。この南の海で潜水艦狩りというミスマッチでロマンチックなこのアイデアはヘミングウェイのものであり、その計画は「ドイツ潜水艦を発見して捕獲し、乗組員を捕虜にし、可能であれば暗号表を押収する。」というものだったそうです。しかし、多くの人たちからは馬鹿げた計画だときめつけられたようです。

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ところが、実際には、この潜水艦狩りはアメリカ合衆国海軍軍令部によって「極秘」扱いされるほどに重要な任務として取り扱われました。そして、ヘミングウェイ自身もこの作戦を極秘扱いとし、限られた仲間たちと海で遊んでいるように見せかけていたようです。当時キューバ海軍で対潜哨戒艇に乗り組み、実際にUボートを沈没させた経験を持つデルガート大尉によれば、彼の乗った船は同海域でしばしばピラール号に出会ったようです。そして、彼は晩年のインタビューで「(ヘミングウェイは)キューバ沖の潜水艦を遊び半分に探しまわっていたプレイボーイさ」と語っています。この言葉が裏付けるように、ヘミングウェイたちのその偽装は上手くいったのかもしれません。しかし、残念なことに肝心の潜水艦探索作戦そのものは失敗だったようです。この作戦によって捕獲されたUボートは一隻もありませんでした......
共にキューバを愛して止まない稀代の革命家とノーベル賞作家、一人は主に銃を手に、もう一人は主にペンによって、それぞれが得意とする武器でファシストとの戦いに明け暮れたのだ、という印象を持ちました。

投稿者 Matchplay : 2003年08月26日 23:07
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